告知に至る道

2004年01月18日

告知に至る道:5

「2週間で仕事に戻る患者さんもいる」

… と先生が言うから、安易に構えて、「切ったら治る」と思っていた。だから、仕事を休む段取りも付けた。確かにそういう患者さんもいるのだろう。しかし、「進行ガン」な自分は、そんなの無理っぽいと思ったら、「手術」すらイヤになってくる。どうせ死ぬなら、痛いのはイヤだし、手術する意味もない。


ネットで丸一日情報を探す。メール相談もしてみる。
「セカンドオピニオン」を取るべきと助言される。経験者のサイトを見ても「セカンドオピニオンを取るべき」とある。

治療というものは、もちろん患者それぞれの体質や治療歴などもあるので一律ではないものの、細かいオプション付きのスタンダードがあり、当然どの病院を選んでも最低限の治療は標準化され均一なのだと思っていたのだが、案外いい加減なのか?そうだ。幼馴染の医者友達も、学生時代からいい加減の権化みたいな人間だった。「死にたかったら、僕の病院に来るといいよう、エヘ」とか、よく言ってた。ナニソレ? 

彼もガンで死んじゃった。彼は医者一家。お兄さんは胃がんで、手術しても助からないって知っていたけど、外科医だったお父さんが手術を勧め、どうせダメだからと親の思う通りに手術して、そしてすぐに亡くなった。それを見ていた彼は、数年後、自分がすい臓がんだって判った時、「僕はヘタレだから、手術も抗がん剤もムリ。場所的にも無意味」と宣言して、「ま、3ケ月かな」の言葉通り、3ヶ月で亡くなった。友達皆でよく「ヤブ」とか「悪徳医者」とかからかっていたのだけど、実は「すごい名医」だったんじゃないか、なんて話したりもした。

そんな彼がもし、生きていて、今、私が「乳がんだから入院させろ」とか言っても、同じことを言うのだろうか?…ああ、命を預けなければならない業界が、こんなにいい加減とは。

…悩む。ちょっとだけ。

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2004年01月17日

告知に至る道:4

朝から小雪がちらついていた。

11時にフェイシャルの予約を入れていたのだが、起きるのが面倒くさく、サボってしまおうかとも思った。しかし、「ああ、私はガンですから、もしかしたら、これでフェイシャルも人生最後なのかも?」と自己陶酔&悲劇のヒロイン的なネガティブ妄想し、「じゃあ行かないとねえ」と自分を奮い立たせた。

 
自分は、本来グータラで引きこもりオッケー人間なので、どんどん何もしなくなってしまう。そんな人間にとって、この「ネガティブ奮い立たせ方法」は結構効果的だ。

例えば、「ああ、Aと食事行くの面倒くさい…」と思っても、「ああ、Aと会えるのも、一生でもう最後かもしれないなあ、ガンだから」と思えば、これはもう少々無理をしてでも絶対行かねばならない気分になってくる。今後、この方法を活用してアクティブになろうと思った。

エステでは店長さん相手に、ガン保険と検査の大切さを伝道。もう私はガン保険使徒として伝道に生きる決意を新たにした。ガン保険に入ってないのにガンになっちゃった愚かな生き証人として、人生を真っ当しようと…。ガン患者の伝道以上に説得力のあるガン保険勧誘があろうか?いや、ない。たくさん勧誘するから、アリコでもアフラックでも、今から私をこっそりガン保険に入れてくれまいか?  

その後、銀行でお金を下ろし、病院でもらった入院指示書の用品を揃える買い物。入院は初めてなので、ちょっとウキウキする。「持ち物:石鹸、タオル...等々」、ここに「おやつは300円まで」とかあったら、久々に、遠足みたいな気分だ。その後、手術の後に着用する前開きのネグリジェ、前開きのパジャマを3着買う。自分が今持っているのは頭からかぶるタイプしかないので、胸切られて痛かったり動かなかったりしたら、脱ぎ着が辛くなる、きっと。

…しかし、ムダな出費だ。本来、全く必要なく無縁なものをこんなに。もう二度と着ないイケてないネグリジェとか。もう、もったいない…と考えたら怒りが湧きそうだったので、そこで考えをストップした。これから、パジャマ代どころか、入院費や手術代、検査費などが延々とかかる。ああ、些細な検査代や時間をケチったからこの有り様だ。トホホ。

その日も遅くまでネットをさ迷い、やはり自分は今の段階で、所謂「進行ガン」「3a」か「3b」で、切れば治るのではなく、かなりダメっぽいという情報を収集する。ああ、自分は手術で胸を取られて、その後、抗がん剤でヘトヘトになって、社会復帰もできず、結局どこかに転移して、あちこち痛くてすぐ死ぬに違いない…。

… 待てよ。じゃあ、働けなくなるので、生活保護を受けられるのだろうか?と、考えてみる。あと、年金払うのは、もう止めたいと思う。国民年金やら厚生年金やら、もう20年近くも真面目にコツコツ納めてきたのに、全く回収できずに終わるのだ。何たる勿体無さ。馬鹿馬鹿しい。逆に健康保険は、今後とってもお世話になるだろうから、払っておいてよかった。

ニッセンで安いカツラがセールになっていたのを思い出し、ためしにオーダーしてみた。カツラも初経験だ。初めての事は、何でもちょっとウキウキする。

その夜、お風呂に入って、自分の胸をしみじみ眺めてみる。
「ああ、もうすぐこの胸ともお別れ…。ごめんね、長い間ずっと一緒だったのに、大事にしてあげなくて…」
と、このモードでは、さすがにちょっと泣けそうになった。しかし、速攻で「ムダ。泣くのは、ムダ。事態を全く好転しない」とのムダムダ大王の囁きが聞こえ、涙が引っ込んでしまった。否定とか、怒りとか、悲しみとか、受容に至る一般的プロセスを、自分も通るのだろうか?


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2004年01月16日

告知に至る道:3

朝から病院へ。
診察室に入ると、マンモグラフィーの写真が正面に提示されている。でも、左右とも乳腺で真っ白なので、何だか判らない。まあ、確かに左には歪な塊のような物に見えなくもないが、何が何やら…。

「やっぱ、ガンですね」

と先生。それから不思議そうに私を見た。

「今日はご家族の誰か一緒じゃないの?」
「いいえ」

配偶者はいないし、親はもう老齢で自分達の事で手一杯。そういう場合、こういうところに連れてくるべき家族ってダレさ? 今後はこういうシングルも、増えると思うよ。…しかし、先生、それって取り合えず、ガンって言っちゃう前に聞いておかないとダメでは。

「検査結果は、みんなガンで、こっちもVだから、間違いなくガンだね」と、先生。

…げ、しまった、Vってナニ?もうちょっと予備知識を仕入れておくべきだった! ふて腐れて早寝している場合じゃなかった。 ちょっと後悔した。

「最近は、セカンドオピニオンってあるけど、これがガンだという診断だけは99%覆らないと思うよ」

なるほど。と、言う事は、先生の経験と統計的に、私のケースは100%ガンなのだ。あとは先生の経験や判断基準が信頼に足るべきものかどうかだけが、私には重要となってくる。…しかし、相変わらずガンガン飛ばす先生だ。

ところで、この日は、ベテランっぽい看護士さんが先生の後ろで、心配げにやり取りを見ながら立っていた。前回はいなかったので、明らかに不自然だ。何のためにいるのだろう?もしかして、ここで私に期待されているリアクションは泣く事か?取り乱して泣き崩れるべき?でも、「ああ、マズい。仕事どうしよう? 休めるかな? どうやって段取り付けよう? あと、私が入院したら、可愛い猫チャンたちはどうなるの?」…と、私が心配なのは仕事と、そして猫チャン達の事だけだから、別になあ。所在無げな看護士さんと目が合って、ちょっと気まずい。だって、胸はコンスタントに痛いし、形は歪だし、脇も腫れてるし、背中も痛い。とにかく相当悪いのだろうという事は実感できた。ガンはガンなのだ。もういい。

「で、手術するんだけどね、胸はこう切ります」

と、先生は手術同意書に胸の絵や手術の切り方の絵を描いていく。乳首を中心にしてレモン形に切って切除するのだそう。「へぇ~」と感心して眺める。脇のリンパに一箇所手で触れる転移があるので、それも含めて取って、背中の方まで穿って見てみるから、とのこと。

「(なるほど、そうやって)全部取るんですか…」と感心して呟いた。それを「全部取るんですか…(ヤメテ)」と先生は解釈したのだろう。急いで「温存治療」というのもあると説明してくれた。要約すると、

1)温存治療は、胸を全部取らない
2)でも、私のような巨大シコリのケースには向かない
3)もっと実験的な治療も最近ではあるが、この病院は大学病院じゃなく公立病院なので、今現在、一番着実でオーソドックスな方法を選択するようにしている

なるほど。いいじゃないですか、基本に忠実。了解。
「あのー、10年生存率はどれくらいで?」 唯一知っている単語を繰り出してみた。
「10年じゃなくて、5年なんだけどね。リンパへ転移の数で区別されてるね」と、先生は書いてくれる。1~3個の場合は約XX%で、4個以上になるとYY%と。4個以上になると、ガクッと生存率が低くなる。

「はあぁ…(ナニ、この違い? じゃ、この3個と4個とを単独比較したらどうなるのだろうか?)」と呟いたのだが、先生は「はあぁ…(じゃあ、私、死ぬの?)」と受け止めたようだ。「これは日本人よりガンになり易い白人のデータだから」とか「これは5年前に手術した人のデータで、医学は日々進歩しているから」とか色々フォローしてくれる。何かムッとしていて怖そうと思ってたが、いい人っぽい。

ところで、例えばアメリカの患者のデータだと、サンプルが人種別であると明記されているなら別だが、通常はあらゆる人種が入っている。だから、例えば生き延びたXX%は全部白人で、残りは全員東洋人で、治療が合わずに全員死んだ…というような事はないのだろうか? もしくは、例えば東洋系が多い地域のサンプルで、その逆とかさ。白人の方が乳がんにかかり易いとか予後が悪いと言われているなら、東洋人とは体質が違うのだろう。だったら、薬に対する反応も、当然異なってくるのではないだろうか?ほら、白人は平気で飲んでるパキシルやプロザックですら、日本人は副作用に悩まされるって言うし。…と、考え始め止まらなくなる。私を悩ませる謎は、社会のいたる所にあるのだ。考え込む私。説明を続ける先生。

「で、その後化学治療、CEFね。今はネットにたくさん情報があるから調べてみるといいよ。これ、髪が抜けちゃうんだよね。髪が抜けにくい薬もあるんだけど、やっぱ効果が少ないんだよね」
「じゃあ、効果があるのでお願いします」

「効果がある」というのは、当然科学的根拠があってのことなのだろう。毛を惜しんで科学を蔑ろにする気は毛頭ない。しかし、やっぱハゲへの道か…。これは、知り合いのハゲ具合を笑っていた報い、ハゲの呪いかもしれない。しかし、ガン=ハゲというイメージは、間違いではなかったのか。まあ今はカツラもあるし、スキンヘッドってのもネオナチか瀬戸内寂聴風味で、面白いかもしれない。

「じゃ、来週…再来週の27日に手術で、26日に入院でいいのかな」
「仕事は、どのくらい休んだらいいでしょうか?」
「一週間入院で、その後2週間くらい静養するといいんだけど、そんなに休んだらクビになっちゃうって人は合計2週間くらいで復帰してるね」
「じゃ、お願いします」
「イヤになったら、電話してくれればいいから。女性はねえ、ノイローゼみたいになっちゃう人もいるからね」

先生、それは、もし先生が私にしたみたいに全員に告知してるのなら、半数以上はその場でフリークアウトすると思うよ。ガンはガンだけど、おそらく日本女性の大半はもっとソフトな告知を望むんじゃないかと推測するよ。先生は必要な情報は聞けばちゃんとくれるし、シンプルでベーシックなお医者さんなんだけれど、誤解を受けやすいタイプだ。

よし、二週間休んで、後半は在宅でやろう。取りあえず、そんなに早く復帰できるなら手術がいいや…。そう思った。でも、猫たちを一週間も留守番にさせるのは可哀想だなあ。猫チャン達は「どうして帰ってこないのかニャ? 寒いニャ、怖いニャ」と、私を待ち続けるのだろうか? と猫心を勝手に想像してみたら、不憫で不憫で、初めてちょっと泣けてきそうだった。

その日の午後は手術のための検査。血液検査、尿検査、心電図、肺活量、レントゲン。これはお決まりのフルコースなのか? 検査の中では、もう鼻つまんで何種類もさせられた肺活量が、一番疲れた。でも、技師さんは肺活量担当の人が一番コミュニケーション能力に長けていた。おそらく、その検査に要する指示が一番複雑で多いので、そう進化せざるを得なかったのだろう。「必要は発明の母」じゃなくて、「必要は進化の母」というヤツだ、きっと。

その夜、大事な友達と知り合いにメールを書く。「ガンだったので手術する」と。しかし、本当に伝えたかったのは、「健康診断サボるな」「ガン保険入れ」だ。

「あーあ、新年早々、こんな辛気臭いメールもらったらイヤだろうな」と最初は黙って済まそうと思った。しかし、手術中に突然死ぬ事もあるかもしれない。だから、身辺整理レベル1くらいはやっといた方がいいのではなかろうか?「友達がガンだ」ってのと「友達がガンで、手術で死にました」ってのと、どっちがイヤなニュースだろうか?まあ、どっちも嫌だが、連絡くれなかった友達に「水臭い。なんで?」と自分なら憤るだろうから、やはり連絡する事にした。 

海外にいる間に不精して、殆どの友達と音信不通になった。そりゃ、5年も6年も年賀状すら送らない薄情なヤツだったのだから仕方ない。で、疎遠になっている旧友には、まったく知らせない事にした。久しぶりに旧友や古い知り合いから連絡あって何だろう?と嬉しく思うと、どうせ「選挙」「借金」「誰か死んだ」「宗教」ってロクでもない知らせか誘いしかない。久しぶりに連絡して、いきなり「ガン」ってのも、ちょっと嫌がらせフィーリングが漂う。私の年齢だと、友達は皆、子育てやら働き盛りで、いずれにせよ大忙しで自分のことで手一杯なのだ。まあ、一段落着いてからできたら連絡すればいい。と、なると、友達の人数は極端に絞られる。だから、そんなに悩む必要はないのだが、付き合いの程度で、誰まで知らせるべきなのかが難しい。

しかし、まずメールを書いた相手は、「私に万が一があったら、猫達をお願いします」とお願いするオンライン友人達だった。

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2004年01月15日

告知に至る道:2

朝から夜まで、仕事に打ち込んでみる。
私の仕事は、日々、アメリカ本社のお馬鹿チームと動作不安定な専用ツールに振り回され、「プロセス」もマニュアルもない。業務分析が好きな私には我慢ならない状況だった。でも、日々回さなければいけない業務で忙しく、そのような基礎的管理的業務に費やす時間が昨年はなかった。

幸い、私もアシスタントさん達も業務に慣れてきて、少々余裕が出てきた。私の今年の上四半期の予定は、ツール&プロセスマニュアルを完備し、トレーニングマニュアルも作成し、作業を誰にでもできるよう効率化&標準化することだった。アクセスデータを整理して、ちょっと戦略的な資料を作成しようとも考えていた。また、アシスタントさん達の仕事がそろそろルーティンになってきていたので、モティベーション刺激のため、毎週何か新しいことを一つトレーニングしていこうと計画もしていた。 

彼女達には「仕事」を好きになって欲しかった。業務そのものは退屈でも、それを通じて何かを学び、習得していく過程が齎す満足感を得て欲しかった。自分で目標を設置し、一つ一つそれをクリアしていく楽しみを知って欲しかった。しかし、今週の予定からまず崩れてしまったので、それどころではなくなってしまった。Lさんから頼まれた契約関連の仕事もあったので、残業する。

元日本企業&外資の社長で、今は相談役をしているZさんから食事のお誘いがあった。同僚のUさんも一緒。ハイヤットのお寿司屋さんで、好きなものを食べさせてもらった。Zさんは世界を渡って日本製品を売り込む仕事をしていた、そう、まるで「『プロジェクトX』の男達」みたいな経験をしているので、話はいつも面白い。

職場の皆さんのお陰で、ちょっと気が紛れた。しかし、その日のプライベート使用のメーラーを見ると一通も発信していない。この日も、ふて腐れて早寝したらしい。数日前から胃が痛むのも気になっていた。

「もしかして、これもガンのせい?」…と、何でもかんでも、「ガン」とリンクして納得してみた。

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2004年01月14日

告知に至る道:1

「形が変になってきた」「乳首が陥没している」「いつでも痛い」

… そう言うと、お隣の先生はすぐに専門医に診せたほうがいいと紹介状を書いてくれた。先生のその反応で、「ああ、この間と違って、マジでヤバそう…」と判る。しかし、紹介状は「外科」だった。「乳」なのに、交通事故の怪我を扱うお医者と一緒?と、ちょっと奇妙な感じがした。

市立病院の「外科」の先生が触診。今までの経過を話すと、カナダの医師が触診しかしなかったという事に非常に憤慨し、「だって、これ、ガンだよ。どう考えてもガンだよ、ガン。全然『悪い物じゃない』なんかじゃないよ。だって、ガンでないとリンパの腫れとか説明できないしね!」…と、いきなし「ガン」を思いっきり連発。 

「そうか、やっぱり、ガンだったのか、やっぱカナダっていい加減なんだよな。まともなところもあるんだけどねえ、どこか抜けててダメなんだよねえ」との自説を裏付ける事実に納得し、先生の力説に頷く。

どいつもこいつも、ガンじゃないって言って。ハハハ、勝った。私が勝ったんだ(ナニが?)。…と、ささやかな満足感すら覚え……ている場合ではなく、「あれ、もしかして、これってガン告知?」と気付く。しかし、こんなに唐突に?しかも、もっと深刻でなくて、いいの? おまけに、問診と触診だけで? ガン告知って、

「あなたはガンです」
「ガーン」(顔面蒼白、背景黒フラッシュ)

というような古いギャグもあったが、あんな感じで、もっと「神聖」な物じゃないのか?と謎は深まる。

「注射は大袈裟だけど、針は小さいから心配しないで」、との先生の慰め(?)と、献血常習者で太い注射に慣れていたので、組織検査用ガチャガチャする謎の巨大注射器を見ても、別に緊張もなかった。針を乳のしこりに刺して少し細胞を取るらしい。 しかも、私の場合は乳の殆どがシコリなので、どこに刺してもオッケー状態。ガン細胞だと、針が入っていく感じが固くてジョリジョリするのだそう。私のは、結構柔らかいらしい。まあ、チクリとする程度。しかし、数日間、その部分が青黄色く変色して気持ち悪かった。その日の午後、マンモグラフィーとエコーを手配してもらう。結果が金曜日に判るのでまた来てくれと言われる。

次の検査を待つ間、ランチを病院内のレストランで食べた。市内にある有名なレストランが出店しているので、味がいいと聞いていた。以前、父が入院していた頃、一度だけ母と訪れたが、「病院のレストランにしては、まあマシ」という程度だった。今回も、そう思った。ランチと別にミルクティーを頼んだのに、間違いでホットミルクが運ばれてくる。「母乳」を連想した。この歳で本当に乳がんだったら、おそらく私は、もう子供を作る事もないし、赤ん坊に自分の胸から乳をやる事も、もう絶対にないんだなあ、としみじみ考えた。

私は子供好きだ。子供が欲しいとずっと願っていた。しかし、仕事、遊び、勉強、研究、さらに介護で先延ばしにしてきて中年になってしまった。しかも、旦那は別に欲しくないので、必要なのはタネだけというのが問題だった。 「タネだけくれ」と、遺伝子が良さそうな何人かにカナダでも頼んだのだが、「そんな無責任な事はできない」と却下され、プランは実行されなかった。ああ、そろそろ物理的に不可能になってしまうから、今年こそ実行しようと思っていたのに、このまま一生できないのか…。いや、待てよ。私がこの歳でガンって事は、立派なガン遺伝子の持ち主なのだから、子供がガン血統になっちゃうのか?それって、可哀想じゃないだろうか?いや、そんなこと考えても、とにかく、もう金輪際、生殖が不可能になったのだよ…と、そういうベクトルに思いが至ると、何だか物悲しく、おセンチさんな気分になってきた。

そこで判明したのだが、「もう~できなくなっちゃうのね」というネガティブなベクトルの考えが、特に患者の涙腺を刺激するように思える。 そこから、

「ああ、可哀想な私、まだ大年寄りって訳でもないのに」

「どうして私だけが?」

「まだ、あれもこれも、やりたい事はたくさんあるのに」

「なのに、もうできなくなっちゃうの?」

「ビエ~ン」

という無限ループに突入するので、この思考パターンは止めるべきだ。こんな所で泣いて、何かマシになるならいくらでも泣くけど、事態は泣いても変わらない。だったら、そのパワーや時間は、事態を変える何か、もしくは自分を幸せにする何かに対して費やされるべきだ。まあ、泣いてストレスを発散するタイプの人だったら、もしかしたらこの思考パターン→「悲劇のヒロイン無限ループ」も有益かもしれないが、私は違うので無駄だ。

同じレストランで、一年ほど前、父の入院時の主治医だった先生がランチを食べていた。もし、あの頃、お金や時間を惜しんで検査をサボらないで、きちんと診てもらっていたら? そうだよ。もし、ちゃんと検査受けていたら、こんな事にはならなかったかもしれないのに。

もし、もし、もし…。ああ、人はこうやって、自分が進まなかった選択肢について、後になってからグダグダと思い遡るのね…。そうして、ああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか、過去視点からの「絶対に実現するはずのなかった未来」に思いを馳せ、あげく嘆いたりするイキモノなのね…。ええ、例外でなく、わたくしもなのね…。ところで、このような「If...」という観念があるのが人間のアカシだと聞いた事があるが、果たして本当なのだろうか? ってか、人間以外の動物は、本能的な衝動と習慣の累積によって行動が決定されるだけなんじゃないの? だったら、「If」どころか、「観念」ってのがあるのかどうか…? と、どうでもいい事を考え始めてキリなく没頭し、もうちょっとで検査に遅刻する。

午後の検査は、まずエコー。 
待合所では、なぜか幼児(4~5歳)が叫んでいた。私の観察によると、スーパーや電車内など、公共の場所でこのように奇声をあげているのは98%の確率で男子だ。その子供は、やはり、男子だった。男の子というのは、元々叫び易い性質のDNAがあるのか?それとも、男の子の母親全員が、公共の場所での叫びは元気で良い行動だと信じ、そのように積極的に躾けているのか?それとも、日頃男の子はもっと煩いので、男子母親は煩さに耐性ができてしまい、「これくらい静か」と認識しているので放置しているのか?それにしても、この男児が最初に「雄たけび」を始めた理由は、一体何なんだろうか?やはり、DNAが成せる技なのだろうか?そして、それを放置、もしくは容認、もしくは奨励しているからこそ、男児にこのはた迷惑な行動が習慣となって身に付いたはずなのだ。 そう言えば、家の猫達も、確かに男子チームの方が、やたらニャーニャー暴れて煩い。男子幼児とニャンコに、行動の類似を見た。これをソシアルラーニングセオリーに結びつけ、何か論文でも書けないか考えてヒマを潰す。カナダで研究と仕事を頑張っているKと、久しぶりに夜通しこういう話をしたいなあと、しみじみ思う。 

あちらの大学にいる時には、毎日こういうどうでもいい思考を繰り返して、たまに論文書いたりしていた。理論でも仮説でも、ムダな思考が山ほどあって、その中からエキスの部分を抽出して、ようやく形のあるモノになる。ムダがないといいアイデアは生まれない。学問とは、本来贅沢なモノなのだ、とカナダで世話になった先生が言っていた。そう。日常に忙殺されてしまって、どうでもいい事をダラダラと考える余裕がないと、良い物は生み出せない。日本に帰って来てからは、脳が疲れる程に思考する必要性もなく、何より、毎日そんなゆとりもなく、脳のシワが減ったような気がしている。会社での社会人は「脳」を使うというより、仕事を円滑に進めるために「気」を使い、それで疲れ果てて一杯一杯になる感じがする。使う部分が全く違う。

で、エコー検査は若い女性技師さんがやってくれた。昔はこういう検査のゼリーが冷たくて嫌だったのだが、人肌程度に温められていて感動した。日本の医療も、ペイシェント・フレンドリーになってきているのだ。内臓のエコーは、以前、家族全員が隣の医院で検査してもらっているので恐怖感もない。しかし、新鮮さもなかった。父方の祖母は、80の時に、それで胆石だか何かが見つかって、この同じ病院で手術した。まず、手術に持たないだろう。しかも、その後ボケるだろうとか寝たきりになるだろうと誰もが思い、手術も積極的に勧められなかったが、祖母は望んだ。そして手術後、介護していた母を病人化させるほどこき使って、自分は不死身人間のように復活し、それから90近くになって老衰でぽっくり死ぬまで元気だった。私はその祖母に一番体質が似ていた。胸が大きいところも、祖母似だ。だから、祖母のように健康で大往生な人生を送るのだろうと確信していた。しかし、不確かで不安な老後に、少々ウンザリしていた事も確かだ。自分だけ元気で、家族や友達、皆が先に逝ってしまう。一番最後に残されるのは嫌だと思っていた。

薄暗い検査室のエコー画面に、胸の中の大きな塊が映し出されていた。そこで止めて何か拡大したり、焦点を合わせたり(?)、撮影したりしている。何もない右は簡単にスルーされたが、塊しかない左は時間がかかった。こういう専門家は、今までにたくさんの患者を診ているだろう。「それってガンですか?」と尋ねたくなったが、困らせるだけだと思ったので、止めといた。

次はマンモグラフィー。これは初めてだったので、新鮮だった。昔、会社の先輩が、「胸をギュッと潰されてすごく痛かった」と言っていたのを思い出した。プラスティックの抑え板が上下から胸を平たく潰す。機械が倒れ、左右からも同じように、脇の肉も挟み込むようにして撮影される。何ともない右は、ぺちゃんこにされても全然平気なのだが、しこりで張っている左は痛かった。

そして、ここでも、「これって、本当にガンなのでしょうか?」と、また尋ねたくなったが、止めておく。自分でも、たぶんガンなのだろうと、もう確信していた。

いつも、「起こり得る最悪&最低の事」という事態をシミュレーションするようにしている。要するに、今回の場合は、もちろん「100%ガン」で、胸は全部取られると仮定した。そして、抗がん剤や放射線治療で頭は「ハゲ」に。体は痩せていかにも「病人」に。 もしくは何かの副作用で「デブ」に。それから、手術で開いてみたが全身転移の手遅れで、そのまま閉じられて、結局痛いのだけ損してベッドの上で死ぬ。…ああ、要するに、もう終わってる、と。そして、それから、それよりややマシな状況を考えていく。そうすれば、本当に最低&最悪の状況が起きた時に、もう準備ができているので、それほどショックはない。

検査が午後一杯かかったので、その日は、結局仕事を休む。

ガンについての不勉強さを恥じ、インターネットで調べようかとも思ったが、何だか疲労感が甚だしかったので、ふて腐れて早寝する。


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2003年12月31日

告知に至る道:プロローグ

ゴムマリ胸の悲劇

「男は女の胸が好き」…これは経験から得た真実だ。 

しかし、その反対はどうかと思う。女の象徴である胸の谷間にうっとりと顔を埋めたい男の数ほど、男の象徴である股間にうっとりと顔を埋めたい女はいない。女性の胸を触ってみたいと思う男性ほど、男性の股間を触ってみたいと思う女性はいない。痴漢と痴女の数は比べる必要すらない。

男性にとって女性の魅力の象徴は単純に胸やお尻しかないのだが、女性にとって男性の象徴は、経済力であったり社会的ステイタスだったりもするからだろう。お金や偉い人が大好きな女性は多い。

男女はかように違う。全く別のイキモノなのだ。 誰かも書いていたが、男が火星から来たマーズだとすると、女は水星から来たビーナスなのだ。これが私のスタンスだった。(どうでもいい)

さて、私の胸は非常に弾力性があり、巨大なゴムまりのようだった。そして、その胸が、生理に合わせ、全体が硬くなって痛くなったり、形が変わったり、大きくなったり、小さくなったりするのは、思春期以降いつもの事だった。プラス、デカ乳女は誰でも経験あると思うのだが、ブラなしで走ったりすると胸が攣れて痛くなったり、重いためにやたら肩こったりするのも日常茶飯だった。胸が目立つのが嫌で、つい猫背になってしまう傾向もある。デカ胸は武器にもなるが、このように困った事もたくさんあるので、プラマイゼロだ。しかも、デカ胸女は「物理的に胸が痛む」に慣れているため、胸の痛みに鈍感になる傾向があるかもしれない。気をつけるべきだ。

さて、そんなゴムマリ胸に変化が生じたのは、1999年頃、まだカナダにいた頃だった。右乳は、ゴムマリからタヨ~ンとした柔らかい胸に変化した。しかし、左乳は乳首を中心に以前と同じように巨大なドーナツのようなゴムマリ状態のまま。しかし、生理の周期に合わせて張ったり痛んだりするのは、両方とも以前の通り。 要するに左は昔のままで、右だけが老化して柔らかい水っぽい乳房になってしまったのでは? 老化か…。参ったな。デカ胸は垂れ易いから、胸筋を鍛えねば…などと考えていた。

大学校内にクリニックがあった。かなり本格的なクリニックで、常時数人の総合医がおり、地元に主治医のいない教職員や学生はまずそこで診察を受け、必要であれば専門医に引き継がれる仕組みだ。自分がどこが悪いのかかなり明確に判っていても、最初から「専門医」に診てはもらえない。当時、婦人科検診(子宮)などもそこでやってもらっていた。子宮検診は30歳過ぎたら毎年やるべきだと非常に熱心に行っていた。 全然痛みもなく、非常に上手でもあった。クスコはプラスティックの使い捨てだった。

その時、ついでに乳の方も気になって触診してもらった。しかし総合医は、左右の硬さが余りに違うのに驚きはしたが、「全体が同じように硬い」という乳の状態を触診し、「家族にガン患者はいるか?」「コーヒーを日常的に飲んでいるか?」「タバコを吸っているか?」と尋ね、私がすべてを否定すると、「まだ若いし、これ(触診)以上の検査は勧めない」「乳ガンは、普通は痛まない」「アジア人は乳ガンになりにくい」などと言われ、専門医には紹介してもらえなかった。 

さて、ここにカナダ医療の欠点がある。外国人でさえ、非常に安い保険料で医療費は基本的にタダという素晴らしい環境だ(薬はタダではない)。しかしながら、勿論、州によって異なるが、私のいた州では、専門医に引き継がれるまでに、非常に時間と手間がかかった。

それより以前に、腹部の痛みを訴えた時も、総合医が何度も色々な薬を出し、それらすべて試させられ、結局どれも効果がないと判った時点で、ようやく専門医への紹介を検討し始めた。 「以前、日本で十二指腸潰瘍をやった事があり、それは完治したが、また出たのかもしれないので、胃カメラで診て欲しい」としつこく訴えて、やっと専門医に引き継いでくれた。しかし、専門医の予約を取れたのはその数ヶ月後。胃カメラの予約ができたのも、かなり後になってからだった。ちなみに、日本でよくやるバリウム検査は、体に良くないからやらない、と断言された。 

具合が悪くなったのに、半年後にしか取れなかった専門医の診察を待って、手遅れになって亡くなってしまった人がいる、という噂が現地では結構あったが、100%ウソではないと思った。 しかも、ナースや救急車、そして病院までもがストをして、救急医療がパンクした、などという日本では有り得ない事態になっていたのも目撃した。生命を守る、それこそ「ライフ・インフラ」の業務に携わる人々の労働条件を向上するのは確かに大事だが、そのような職種に「ストをする権利」を認めるのはどういうものだろうか?と、しみじみ考えたものだった。


我が家は健康で、死因は老衰がほとんどだからと気楽に構えていた。唯一、病気経験は父で、若い頃の結核。そして、不潔な注射針使用の予防接種か何かのせいのC型肝炎。しかし、これを遊びすぎの不摂生で「肝硬変」にした後、医師に「ガンになる恐れもあり、命はあと数年」といわれ続けてもガン化せず10年以上経過していた。しかも、甘い物の食べすぎで糖尿病になり、失明するだの足が壊死するだの言われ続けて10年近く元気で、肝性脳症になっても元気に復活し、普通に暮らしていた。そんな元気な家系の自分は健康その物だ。今では、タバコも止めており、累積喫煙年数も10年に満たない。お酒も月に数回嗜む程度。 食生活は無農薬の野菜とマメ製品が中心。運動も定期的にしている。サプリメントもバッチリ。空気の綺麗な山暮らし。学期初めと末は色々と忙しいが、週に2,3回の講義しかない暢気な仕事。これで、一体どうやって病気になる? 十二指腸潰瘍も治ったし、私も老衰一直線に決まっている。では、どうやって、どこで長い老後を過ごそうか? 日本だと、お金ないと辛いかしら? じゃあ、老後はカナダか? …と、考えはそちらのベクトルだった。勿論、ガン保険などにも入っていなかった。

それからしばらくして、同じクリニックで再度、別の先生(北欧移民の綺麗な金髪女医さん)に何かのついでに触診してもらったが、やはり「左右が余りに違うのは変だが、感触的に悪い物ではないようだから、検査は勧めない」と言われた。まあ、この時点では、本当にガンではなかったかもしれないのだが、心配だから検査をお願いしたいと熱心に頼めば、何とかしてくれたかもしれない。 …そう、半年後とかに。


そして、2001年の暮れ、帰国した。
以降は、父の介護のために毎日病院に通い、仕事もフルタイムでできないし、出かけられないし、父の事業や借金を片付けねばならず、それに伴った経済的問題も発生して、ほとほと疲れて非常にストレス過多な日々ではあった。シコリのガン化に「ストレス」が関係しているのなら、おそらくこの期間だろう。

実家の隣に内科がある。地元で長くやっている先生で、我が家は先生を信頼して、全員がかかっていた。10年以上前に肝硬変で余命数年と言われた父がまだ元気なのも、この先生のお陰だった。私もカナダに行く前は、毎年、バリウム、胃カメラ、レントゲン。4ヶ月に一度血液検査などをきちんと受けていた。何度か胃炎や十二指腸潰瘍にもなったが、都度、先生にお薬で完治してもらっていた。しかし、帰国後は何でも父が優先で、自分の事どころではなく、全く診てもらっていなかった。

兆候はいつから顕著になったのかと、2003年の手帳を見てみると、生理日が1月17日。非常に正確な約28日周期で次が2月13日。そこに1月26日と30日に胸が痛いマークが付いている。それが「胸が痛いマーク」の付け始めだった。以降、毎月付いている。5月には、生理後の一週間5日連続で「痛いマーク」が付いていた。この頃か、もう少したってから、お隣の先生に触診してもらった記憶がある。やはり「左右お方さが余りに違うので変だ」と言われたが、左胸全体が同じように張りがあり「しこり」のような区別がなかったため、「経過を注意して見ましょう」と言われ、痛み止めを貰った。昔からある痛みが酷くなったのだ程度に、自分も考えていた。その頃、ようやく父をリハビリ施設に入所させる事ができ、仕事のペースが戻った。月の残業150時間などという時もあったが、とても楽しんでやっていた。

10~11月になると、思わず呻いてしまうほど胸は痛くなってきた。おまけに、太股の上の方に、奇妙な「湿疹」ができて、いつまでもジクジクと治らなかった。 背中にもブツブツ出てきた。今考えると、全身の抵抗力が弱っていたのかもしれないが、「皮膚の老化かな?」と思っていた。 この頃、ベッドに横になると眩暈がするという不思議な現象も起きていた。目を瞑るt、星のような物がちらつき、周りがグルグル回る。しかし、特に日常生活に支障がないので、気にしなかった。

「私はガンの家系じゃない」「タバコも止めた。お酒も習慣的に飲まない」「乳がんは痛くない」「サプリメント摂ってる」「青汁や緑茶を飲んでる」「栄養のバランスいい食事をしている」「大豆も海草もキノコもよく食べてる」…と、そんな自分がガンになるとは1%すら思っていなかったので、当然、検査の必要性も感じなかった。ガン保険なんか、全く入ろうとも思ってなかった。


病院に行かねばと思ったのは、2003年の暮れだった。左乳首が陥没し、乳房の形が上部に攣れて奇妙に変形してきた。 その上、生理が終わってから痛い…のではなくて、まだ生理中だったのに、もう周期に関係なく胸は痛むようになってきていた。 その頃、左胸は上部半分を除いて、右のように柔らかくなってた。以前は全体が硬かったのに、上部だけが硬く残ってしまったという感じだった。それでも、まだ「ガン家系じゃない」「乳がんは痛くない」とか「もし、これがガンだったら、こんなに大きくて、そしてこんなに何年もここにあったなら、自分はとっくに死んでいる」と、考えていた。


年末からひいた風邪は、中々治らなかった。私にしては珍しく、丸3日、発熱もした。 熱は下がっても微熱が続いた。いつまでも鼻が出て、ズルズルしていた。ここ数年、風邪など引いたことがなかったので、そちらを治す事が気になって、胸はどうでも良くなってきた。

1月13日、社内マッサージで指圧してもらった時、左の肩に洒落にならない痛みを感じた。表面的ではなく深部から疼くような形容し難い、しかも息が詰まるような痛みだった。さすがに「ナニ?」と思わざるを得なかった。 「これは単なる肩こりじゃない。もしかして、乳の方から来ているのかも? だったら、乳は相当悪いな」…で、職場に近い婦人科が友達に評判が良かったので、その日に診てもらおうとした。しかし、そちらは婦人科で「子宮関連」なので、乳房は乳房の専門医に行ったほうがいいと助言され、「そうか、乳房専門のお医者がいるのか」と初めて知った。 『無知の知』。

しかし、翌朝、結局、長年お世話になっている隣の先生のドアを叩いた。自分の既往症もすべて把握している先生がいいだろうと思ったからだ。それも、偶然、地下鉄に乗り遅れてしまったので、「あ、遅れるならついでに、診てもらおう」などと思いついた結果だった。 それがなければ、まだ痛みを抱えてグズグズしていたに違いない。でも、そのグズグズしている間は、今日の続きで未来の扉を開ける事ばかりを考え、それは幸せだったろう。


すべての物事は、当人が認識した瞬間に「事象」として存在し始める。 

…まさにそういう事だ。
私のガンは、私にとっては、ガンと宣告されるまで存在しなかった。


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nekome1999 at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 
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